570点

2018.01.15 / Mon01:52 /1945 word



センター受験された方々、お疲れ様でした。
毎年この時期になると、当時を思い出します。もう15年以上も前のことなのだけど。

タイトルの570点は私のセンター試験での合計点数で、キリが良かったため今でも覚えている。今どういうシステムでどういうレベルなのか知らないけど、当時はまぁ良いほうだった気がする。

私の第一志望は、九州芸術工科大学(現・九州大学芸術工学部)の画像設計学科で、担任の先生に600点取れたら受けて良いと言われていて、泣く泣く諦めることになったのである。
九芸工を受ける前提で、授業を取ってもいなかった美術の先生のもとに通ってデッサンの練習をしたりもしていたし、今さらだいぶ遅いが、それでもチャレンジして受けていれば良かったな、なんて思ったりする。

家庭の事情もあり、とてもじゃないが私立なんて行けなかったから、国立で無難なところを受けたのだけど、二次試験は大得意な数学オンリーで、楽勝〜〜〜なんて思っていたら、前期で落ちたりなんかした。笑う。
後期はセンターの結果+面接で、ご存知の通りコミュ障の私ですから面接は全然ダメだったようだが、センターの点数が割と良かったので、4人枠の1位通過で事なきを得た。

そういう流れもあって、先にも書いたように、前期で志望校を受けていれば良かったなと何度も後悔したし、たまに今でも若干思ったりするのだけど、まぁ当然今さら遅い。


こういう、後悔とは違うが挫折的なものもいくつかあり、小学校から続けていたバスケットを高総体の直前で辞めてしまったりなんてこともあった。自慢ではないが、小・中とキャプテンで(弱小だったけど)、高校でもキャプテンは西村でしょう、という流れになるくらいの実力はあったようで、いま思えば「プレッシャーに弱く調子に乗った勘違い野郎」だったというだけのことではあるが、当時はいろいろとダメになって、考え直すこともなく、そのバスケ人生をあっさりと切ってしまったものだ。

遡って小学校のときは、1年生の時の縄跳び大会は学年でひとり100点(5秒/1点の8分20秒)を跳び表彰され、それから4年まで連続100点、マラソン大会も2位→3位→2位→2位で、5年生から12位→20位とガクッと落ちたし、マラソン大会ではどうしても1位になれなかった(1位はいつも同じ人というわけではなかったのに)。※運動神経が良いことだけが取り柄だった頃

おそらく悔しかったから今でも順位まで覚えているんだろうけど、なんかそういう、必ずどこかで壁にぶつかって、それをいつも壊せないでいた。


ぶっちゃげいまも若干そういう状態ではあるのだけど、過去を振り返るな、ではなく、振り返って糧にして踏ん張ろうとしている。

上に書いたことは私のこれまでの人生で、子どもながらに経験した、自分にとっては大きなことで、受験のことがあってから、ダメでもとりあえずチャレンジしてみようと思うことが定着したし、実際、親にも「つなぎだね」なんて言われながらもアルバイトくらいの給料で5年弱を前事務所で過ごしたし、いろいろ言われたりよく思われなかったりしたけど(しているけど)30を超えてフリーランスを辞め会社に所属してみたり、これからもチャレンジしようと思っていることがある。
バスケについても、その頃に感じた気持ちを今でも感じてしまう出来事が多々あるが、負けずに頑張ろうと思うことが出来ている。
「なぜ壁にぶちあたっているのか」「何が原因なのか」「壊すためにはどうしたらいいのか」はこの頃、これからの人生を大きく変えるであろうチャレンジも含めて考えることが多くなった。


就職も、当時はどこを受ければ良いのかすら分からなかったから、某大手広告代理店からよくわからないアフィリエイト会社とかまで受けたりした記憶があるが、まぁ全部落ちました。笑
ただ全部落ちたから、前職の経験も出来たし今があるのであって、なんか人生ってうまいこと出来てんだなーと思うことも多々あったりします。
就職出来なかった私は「あー、どうしようかなー。」くらいにしか思わなかったから良かったけど、学費を出してくれていた両親には今でもとっても申し訳ないなと思う(だからいまは、離れているからそれしか出来ないため、金銭面で困ることがあれば惜しむことなく助けている)。


誰にエールを送るわけでもないのだけど、センターの結果がどうであれ、その後の人生をちゃんと自分のものにしていただきたいなと思います。私もまだまだですが。

お知り合いのお子さんがふたり、就活とセンター試験と被っていて、ちょっと話を聞いたので昔を思い出していたところでした。以上。




今日の余談。



持て余していたセルラーモデルのiPadを、今さらながら車に付けられるようにしたら、思いの外よかった。笑